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二ツ釜コースと宝満窟巡り(2009年3月15日) → 写真集


 三郡山地縦走路から昭和の森へ降る登山道のうち欅谷Aコースは縦走路から南西へ延びる尾根を降り、途中から東側の谷へ降りて林道終点の登山口に出る。このコースの尾根から谷へ降る所にはそのまま尾根を直進する踏み跡が付いていて、迷い込まないようにロープが張ってある。国土地理院の地形図にもこの尾根を直進して途中から南の林道へ降る道が載っている。
先日、頭巾山コースから欅谷Aコースへ周回した時に欅谷Aコースの登山口へは降らずに尾根をそのまま進んでみた。踏み跡はヒノキの植林帯の中に続いていて目印の赤テープが付いている。地図では569m地点の少し手前で南へ降っているが、目印はそのまま直進して569m地点から降って行く。ヒノキの植林帯を降って行き、最後は小谷の入口で林道へ出た。地図の破線よりも100m程西へ寄った所だった。小谷の入口はちょうどT字型に岩で塞がれていて、左右に水の流れ道が付いている。岩の周りを整理していた地元の方の話しでは「二ツ釜」と言うそうなので、便宜上、このコースを二ツ釜コースと呼ぶことにする。今日はこのコースから縦走路へ登り、三郡山、宝満山と縦走して宇美新道を降ることにする。


登山コース

昭和の森バンガロー駐車場(10:10) − (10:35)二ツ釜登山口 − (11:10)欅谷Aコース合流 − (11:30)縦走路 − (12:20)三郡山山頂 − (12:50)ブナ岩(昼食)(13:30) − (14:15)キャンプ場 − (14:25)法城窟(14:50) − (15:00)福城窟 − (15:05)益影の井 − (15:35)宝満山山頂(16:05) − (16:15)うさぎ道分岐 − (16:40)宇美新道分岐 − (17:20)宇美新道登山口 − (17:50)昭和の森バンガロー駐車場

MAP

二ツ釜コースで縦走路まで
昭和の森バンガロー駐車場 → 二ツ釜登山口 → 欅谷Aコース合流 → 縦走路

 入口のゲート付近の駐車場にはあまり車が停まっていないので今日は登山者が少なそうだと思っていたら、バンガローの駐車場はほぼ満杯の状況である。今日も遅めの出発であるが、他にも2人組みの登山者と10名くらいのグループがちょうど出発しようとしている所であった。急いで準備をして駐車場を後にする。天気は上々、少し肌寒い。正楽池の分岐辺りにはツツジがチラホラ咲き始めている。団体の登山者達も私と同じ欅谷へ向かう林道を歩いて行く。多分欅谷Bコースを登るのだろう。

二ツ釜コースの登山口は欅谷沿いに延びる宇美林道12支線の途中にある。欅谷に架かる橋を3つ渡り、左へカーブして少し行った所の左側の小谷が登山口になるが入口には何の目印も無い。谷の入口を覗くと左奥に谷を塞いでいる岩が見える。岩の下の両側は空洞になっている。これが二ツ釜だ。登山道はこの谷の左岸からヒノキ林の急な斜面を登って行く。急坂にはロープが張ってある。しばらく行くと左の谷の斜面に大きな老木が見える。ゴツゴツとした幹は既に折れてしまい、根元の部分だけが残っているが、細い人工林が立ち並ぶ中で眼を引く存在だ。

尾根に上がると569m地点を目指して尾根沿いに登って行く。569m地点からは平坦な尾根を辿る。国土地理院の地図上の破線と合流する辺りには、かつての道の跡であろうか、窪んだ道が付いている。登山口から約35分で欅谷Aコースに合流する。合流地点には今登ってきた方へ迷い込まないようにロープが張ってある。

欅谷Aコースは右側から登って来てここで方向を変えて尾根を登って行く。窪んだ道はこのコースが古くから歩かれていたことを伺わせる。昨日降ったのだろう、薄っすらと雪が残っている。時折、左下にいい雰囲気の谷底が見えてチョッと降りてみたくなる。葉を落とした樹が増えて明るくなってくると尾根の左斜面を辿って縦走路へ出る。正面には「太宰府県立自然公園」の丸い標識をはじめ標識が幾つか立っている。そのうちのひとつに「砥石山40分、三郡山40分」の表示がある。二ツ釜コースと欅谷Aコースの合流地点から縦走路まで約20分かかった。

(写真:二ツ釜)


縦走路を三郡山へ
欅谷Aコース分岐(縦走路) → 小河内分岐 → 欅谷B分岐 → 三郡山山頂 → 天の泉 → 頭巾山分岐 → ブナ岩(昼食)

 欅谷Aコース分岐から三郡山までは快適な縦走路が続く、分岐から少し行った所にある露岩(展望岩)のピークからは三郡山から宝満山までが見渡せる。以前は三郡山は見えにくかったのだが、近くの樹が倒れて見やすくなったようだ。岩のピークから降った小河内分岐辺りにはダンコウバイだかアブラチャンだか未だに見分けがつかない樹の芽が膨らみかけている。もうすぐあちこちで黄色い花が咲き乱れるだろう。

思い切り枝を広げたブナの木の横を過ぎて登って行くと793m地点のある細長い尾根に差し掛かる。尾根の右側を平坦な道が延びていて、その右側は植林帯になっている。途中で左側へ踏み跡が付いていて林が切れた所から飯塚方面の展望が得られる。793m地点には丸みを帯びた露岩があってその前に「793m」と書いた小さな標識が立っている。現在位置を確認するのに便利だ。小さなアップダウンを過ぎて広い斜面の登りにかかる。ここは左の林の中にショウジョウバカマの群生地がある。4月の中ごろにはツクシショウジョウバカマの綺麗な花を見ることが出来る。細長く延びる露岩の上を通り、ひと登りすると左の谷にブナの巨木がある。幹の低い位置から太い枝を何本も伸ばしていて三郡山地の縦走路では目立つ存在だ。

ブナを過ぎるとすぐに欅谷Bコース分岐に差し掛かる。ここで今日昭和の森を一緒に出発した高年のグループに遭遇した。やはり欅谷Bコースを登って来たようだ。途中、反射板のところで展望を楽しむ。頭巾山の山腹の岩壁には薄っすらと雪が残っているようだ。歩いているときはそれほど感じないが、立ち止まってジッとしているとやはり寒い。

三郡山山頂は大賑わいである。休日の山頂は久しぶりに経験するが、最近はいつもこんなに賑わっているのだろうか。ここ数年縦走路を歩く登山者が増えているのは確かだ。今日はまずまずの展望で英彦山辺りまでは見えている。山頂では食事休憩したり、写真撮影したり、みんな思い思いに過ごしている。

山頂を後にして昼飯を食べる場所を探しながら宝満山へ向かう。山頂直下のフェンスの下には開きかけたふきのとうが顔を出している。昨日降った雪が融けたのか登山道はベチャベチャだ。休憩に良さそうな所はほとんど先客がいる。この分ではいつも休憩している頭巾山山頂も期待できそうに無いので、立ち寄らずに先へ進む。結局、縦走路途中のブナの後にある岩の近くで昼飯にした。食事をしている間にも縦走路を登山者が何組も通って行く。

今日は二ツ釜コースを登るのと宇美新道の様子を見るのが目的でその他の予定は立てていない。ブナの枝にできているゴツゴツとした瘤を眺めながら昼飯を食べていて、いつかHPで見た法城窟のことが頭に浮んだ。法城窟は宝満山山頂の竈門神社上宮の真下にある窟で、宝満七窟のうちでも最も重要な位置付けの窟だそうだ。入口は狭く、中には細長い石が立てかけてあってその奥に空間があるとは思っていなかったが、そのHPには法城窟は大南窟よりも広いと書いてあったのだ。今度行ったときは中を覗いてみようと思っていたので、今日立ち寄ることにした。

(写真:表:三郡山山頂への登り 裏:三郡山山頂の風景)


法城窟、福城窟を巡って宝満山へ
ブナ岩 → 大岩 → 長崎鼻 → 仏頂山(山頂をパス) → キャンプ場 → 東院谷 → 法城窟 → 福城窟 → 益影の井 → 宝満山山頂

 食事を終えて縦走路を宝満山へ向かう。相変わらず道はベチョベチョで面倒くさがらずにスパッツを着けてきて正解だったようだ。稜線の木々はまだ芽吹きには時間がありそうだ。

難所ヶ滝分岐を過ぎ、大岩を越えて河原谷分岐へと降る。河原谷分岐から長崎鼻へ登ると後は仏頂山山頂まで平坦な雰囲気の良い道が続く。八葉の峰辺りで20人位の団体を追い抜いたが、写真を撮っている間にまた追い抜かれてしまった。仏頂山山頂からの降りで渋滞しそうだと思ったので、今日は山頂をパスして、山頂の北側を巻いてうさぎ道から縦走路へ出ることにする。仏頂山山頂から宝満山方面へ降る道の途中には大きなブナの木があり、その根元を登山道が通っている。降りになっているところでかなり荒れていてブナの根も傷んできている。最近、宝満山と三郡山の間を縦走する登山者が増えたので益々ひどくなりそうだ。山頂からうさぎ道方面への迂回路を作った方が良いのかもしれない。。。

宝満山山頂へ直接向かわずに途中から左の踏み跡へ入りキャンプ場へ出る。キャンプ場の山小屋の周りでは常連らしい登山者のグループがくつろいでいる。バイオトイレで用を足してから西側の石垣の所から女道へ降る。女道は宝満山山頂の南側を巻いて役の行者堂跡と座主跡・キャンプ場を結ぶ道で途中には多くの名所旧跡がある。

キャンプ場から古い石段を降って行くと薬師堂跡に着く。道の脇に石灯籠の一部が立っていて、その先の林の中には「愛敬の岩」が立っている。恋占いをする岩のようで、目を閉じてこの岩に辿り着ければ願いが叶うそうな。そういえば竈門神社は縁結びの神様として有名だった。愛敬の岩の前で右へ方向を変えて降って行く。石段を降ると左側に小さな石仏があり、反対側には崩れた石垣の横に柱が立っていて「法城窟」の表示がある。ここが法城窟へ向かう道の入口である。ここから藪の中の細い踏み跡を辿ると岩に倒れ掛かった2本の木の下を潜った向こう側に法城窟がある。

法城窟は巨大な一枚岩の下に空いた空洞で入口には杉の倒木が倒れ掛かっている。倒木の下を潜ると小さな泉水があり、その左側が窟の入口になっている。中を覗くと、左側に仏像を祀ってあり花が供えてある。右上には細長い白い岩が立てかけてあり、その後は暗くて見えない。今までその後に空洞があるなどとは思ってもいなかった。ヘッドランプを持って中へ入ってみるとすぐに岩の塊に突き当たる。右側から一段上へ上がると左の方へ複雑に岩が組み合わさった空洞が広がっている。ライトを当てると岩の表面が銀色に光る。恐る恐る先へ進むと奥の方の右側に何か仏像を祀ってあるようだ。中間付近の天井が八の字型になっている所の中央から細長い岩がぶら下っていて何か彫ってある。そういえば「宝満山歴史散歩」(森弘子著)に観音像を線刻した岩が下がっていると書いてあった。今まで入口に立てかけてある岩がそれだと思っていたが、どうやらこの岩のことだったらしい。良く見ると確かに観音菩薩が座った姿に見える。

さらに奥へ進むと右上に2体(一体は首が無い)、その奥にも2体の仏像が祀られている。さらに左下の窪みにも何か祀られているようだ。奥は次第に狭くなっていて光が漏れている様子も無いので行き止まりになっているのだろう。もう少し詳しく見てみたいが、外の方から人声も聞こえるし(女道を歩く人の声だったようだ)、怪しい奴だと思われてもなんなので引き返すことにする。それにしても法城窟の中がこのようになっているとは思っても見なかった。なんだか得した気分だ。

法城窟から女道へ戻り、東院谷の石垣の横を降って行くと右側に小さな看板が2つ草に埋もれかけている。ひとつには「益影の井」、もうひとつには「福城窟への道」と書いてある。ここから斜面を登って福城窟と益影の井を経て男道へ出ることが出来る。道は踏み跡程度できちんと整備されているわけではない。斜面を登って木の横をすり抜けると細い竹が生えた平坦地に出る。右側に岩の壁が連なっていて、正面には大きな岩が覆いかぶさりその下に空洞がある。これが福城窟と呼ばれている窟であるが、法城窟を福城窟とする説もあるので定かではない。また、ここは虚空蔵窟とも呼ばれていたらしく、近くに求聞持法堂があったそうだ。空洞は奥行きが狭くて本当にこれが窟なのだろうかと疑いたくなるが、唯一ここがただの岩屋で無い証拠に、良く見ると岩の右側に梵字が彫ってある。梵字の下にも何か文字が彫ってあるようだがハッキリしない。

福城窟の左側を登って行くと益影の井に出る。岩の下の小さな窪みに泉水が湧いていて柄杓が置いてある。落ち葉が沢山浮いていて飲む気にはならないが、ここは宝満山の五井のうちでも最も重要な役割を持った井戸であるらしい。

益影の井から左へ道がついていて少し行くと男道へ出るが、今日は右へ林の中を横切って宝満山山頂直下の鎖場の下へ出てみようと思う。もちろん道はついていないので藪漕ぎ覚悟である。何に出会えるか楽しみだ。

右側へ切れ落ちる急斜面を慎重に横切って行く。まずはいくつも穴が空いた枯れ木に出会う。次は横へ延びてから上へ向かっている杉の木だ。左側には大きな岩が迫っている。途中で岩の間を上れそうな所があるが、おそらく男道へ出るのであろう。岩の真下のかすかな足場を辿り、滑りやすい斜面を横切って行く。大きな岩にぶつかるたびに何か彫っていないだろうかと目を凝らす。そのうち目がチカチカしてきた。

頭上に複雑な岩の断崖が見えてきた。おそらく上宮の裏の断崖なのだろう、いくつもの岩が重なっているように見える。上から声が聞こえてくる。どうやらロッククライミングをしているようだが、ここからは人の姿もロープも見えない。一段上に木が生えている所があるので、その辺りから登り始めるのだろう。岩の基部を回り込むように進んで右上へ上がるとちょうど稚児落しの手前に出る。左には鎖場があり、正面には仁王石と呼ばれる岩の塊がある。左の鎖場を登って宝満山山頂へ向かう。

時間も遅いので宝満山山頂には登山者が独りいるだけであった。岩場の方から声が聞こえていたので行って見るとロッククライミングをしている人達がまだ登っている最中で、2人目が登って来て最後の一人を待っている所であった。しばらく見物して最後の一人の頭が岩陰から見えた頃に山頂を後にする。

(写真:表:法城窟の観音像 裏:福城窟の梵字)


宇美新道を降って昭和の森へ
宝満山山頂 → うさぎ道分岐 → 昭和の森分岐 → 宇美新道分岐 → 沢 → 鎌ヶ谷池 → 宇美新道登山口 → 草ヶ谷側のバンガロー → アスレチック広場 → 欅谷側のバンガロー

 宝満山山頂から鎖場を降り、キャンプ場への道を右へ分けて仏頂山方面へ向かう。西陽が創り出す木々のシルエットが登山道に落ちて綺麗だ。夕暮れ時の山道を歩いていると山を降りるのがもったいないような気持ちと、明るいうちに降りなければという焦りの気持ちとが入り混じって落ち着かない気がする。しかし、現実には早く降らなければならない。

うさぎ道分岐から左へ入り、釜蓋窟の入口を見送って尾根を降って行く。この道はいつもと変わらず安定している。ただ1ヶ所、河原谷方面へのショートカットの入口に大きな赤いテープが巻いてあるのが眼を引いた。本来の道はもう少し降った所から斜面を引き返すようにトラバースして尾根を越えているが、その道の途中が崩壊してからはここから直接尾根を降るショートカットが出来ていて、最近はこちらの方がメインになっているようだ。さらに少し降ると本来の道への分岐があり、ここには立派な標識が立っている。昭和の森方面へ少し入ってみて様子を見ると斜面を横切る道の途中で根こそぎ倒れた木が道を塞いでいる。しかし、根元を越えて踏み跡がついているので何とか通れそうだ。古くから歩かれていた道なので本来の登山道として歩き続けたほうがいいと思う。。。

昭和の森分岐から逆方向へ向かうと、また、すぐに分岐があり小さなベンチが置いてある。左が竈門神社や北谷へ向かう通称「うさぎ道」で標識には「有智山城登山口」の表示がある。右がこれから降る「宇美新道」で標識には「昭和の森」の表示がある。この分岐からうさぎ道へ少し入ったところの左側の林の中には大岩があってその上に登ると宝満山山頂が見える。この岩は宝満山山頂からからもよく見える。今日は時間も遅いので立ち寄らずに宇美新道を降って行く。

分岐から10分程降ったちょっと平坦になった所にベンチが2つある。そこから2分程降ると木の枝に小さな白い標識が取り付けてあり「北谷ダムへ(20分位)」の表示がある。左の林を覗くと左手前へピンクのビニール紐や赤テープが降っている。補点を過ぎてシダに覆われそうな植林帯の道を進むとまた、ベンチが2つある。ここには「仏頂山北西尾根道」の表示がある。ロープを張った急坂を何度か降り、最後もロープを伝って沢へ降りる。右側から谷が降ってきていて、辺りはブッシュ化が進んでいる。この谷も一度崩壊して岩がごろごろしているが、今は藪の中を小さな流れが降っている。

踏み跡は思ったより明瞭で目印もしっかりとついている。流れを右へ左へ渡り返しながら降って行く。谷の下流には復旧工事が終わって水を湛えた鎌ヶ谷池が見えている。登山道は鎌ヶ谷池の上部で右の杉林へ入り、杉林の中を通って鎌ヶ谷の縁へ出る。鎌ヶ谷から昭和の森へは杉林の中に作られた作業道を通って最後に川を渡ると河原谷から一本松池方面へ降る林道に出る。林道への出口には大きな岩が4つ並べてある。この岩の所が宇美新道の登山口で、河原谷側の岩の横の木に小さな標識が取り付けてある。標識には「猫目新道」の表示がある。宇美新道は元々「猫目新道」と呼ばれていたらしい。

林道を昭和の森へ向かって進み、途中の分岐を右へ入って草ヶ谷のバンガローへ向かう。トイレの横を通って橋を渡ると木立の中にバンガローが建ち並んでいる。バンガローの前を右へ行くと草ヶ谷ダムの入口へ、左へ向かい階段を登って行くとアスレチック広場から原生ツツジ園の丘を越えて欅谷側のバンガローへ降ることが出来る。原生ツツジ園のツツジもチラホラと咲き始めている。ツツジ園から降る途中にはシャクナゲの群落が蕾を膨らませて開花の時期を待っている。

(写真:宝満山山頂からカラスと若杉山)


あとがき

 今日登った二ツ釜コースはほとんどが植林帯の登りであまり面白みは無い。しかし、欅谷Aコースに比べて林道歩きが少ないのと、登山口が昭和の森に近いのは利点である。宇美新道(猫目新道)は特に問題なく歩けた。気になっていた沢コースも踏み跡がしっかりしていて藪も気にならなかった。流木で埋まっていた鎌ヶ谷池も復旧が終わり綺麗な水を湛えていた。

それより、今日は法城窟の中を覗けたのが何よりも収穫であった。今まで何度か訪れたことがあるが中に空洞があると思っていなかったので入口から覗く程度で終わっていた。ライトの光にきらきら光る岩壁と天井からぶら下った岩に彫られた観音像は神秘的であった。しかし、神聖な場所なので大勢でがやがやとではなく、少人数で静かに訪れたほうが良いだろう。間違っても岩や仏像を傷つけないようにしよう!!

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