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九州脊梁山地南部縦走(2008年5月6日〜5月9日) → 写真集


 今年も新緑の季節がやって来た。昨年のGWには九州脊梁山地の北部を縦走したが、新緑や山芍薬にも少し早く、2日目からは雨の中を歩く羽目になってしまって、今一だった。今年は山芍薬をターゲットに白鳥山辺りを歩いてみようかと思い五家荘辺りの地図を眺めてみる。

この山域には幾つか気になっているルートがある。ひとつは峰越峠(林道椎葉五家荘線の県境の峠)から白鳥山までのルート、もうひとつは南山犬切から石楠越を通って鷹の巣山(地図上では蕨野山)へ到るルートである。今回はこれら2つのルートと、まだ登ったことが無い岩宇土山を一挙にやっつけるコースを縦走することにした。山芍薬の開花時期は10日前後と予想して、天気予報と照らし合わせて6日〜9日までの3泊4日で峰越峠を出発点とし水上越か石楠越で一泊、久連子で一泊、水上越で一泊して峰越峠へ帰るコースを歩くことにした。


登山コース

峰越峠 − 白鳥山 − 水上越 − 七辺巡り − 南山犬切 − 石楠越(泊) − 鷹の巣山 − 蕨野山 − 積岩山 − 岩茸越 − 久連子(泊) − 岩宇土山 − 上福根山 − 山犬切峠(泊) − 七辺巡り − 水上越 − 白鳥山 − 峰越峠

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前日(5月5日:五家荘へ)


 午前中に福岡を出発。阿蘇を越えて南阿蘇グリーンロードを降り吉無田水源で水を補給、国道445線で二本杉峠を越えて五家荘へ入る。国道445線は災害復旧工事のために通行止めになっていたが5月11日までは通行できるとの情報をネットで得ていた。また、長い間通行できなかった樅木から椎葉へ抜ける林道(椎葉五家荘線)も2t車以下が通行できるようになっている。久しぶりに来た五家荘は新緑は鮮やかだし、空気も綺麗でやっぱりいいところだ。

下屋敷から樅木へ向かう道路へ入り、八八重から椎葉五家荘線を峰越峠へ向かう。崩壊箇所は応急処置をしてとりあえず通れるようにしたようで、まだ、本格的な復旧は終わっていないようだ。またいつ通行止めになるか分からない。今回はラッキーだった。ニガコウベ谷沿いに落石を気にしながら登って行くと見覚えのある峠に着く。熊本と宮崎の県境を越える峰越峠で、近くをぼんさん越えの別名を持つ椎葉越えの旧道が越えている。峰越峠は災害の影響も無かったようで以前と変わらず、小岱山観音寺が設置してくれた簡易トイレも問題なく使用できる。

峠には福岡No.の車が一台停まっていて、やがて椎葉側から車で男性が2人やってきて拾っていった。白鳥山から時雨岳へ縦走したそうだ。山芍薬の状況を尋ねるとまだ早いようなことを言っていた。

今日はここで車中泊して明日の朝白鳥山へ向けて出発することにする。


1日目(5月6日:峰越峠から石楠越へ)
峰越峠 → 白鳥山 → 水上越 → 七辺巡り → 南山犬切 → 石楠越 → 石楠越の次の鞍部

 5時頃には明るくなってきた。パッキングは前日に済んでいたので簡単に朝食を済ませて5時半に出発する。登山道に入ってすぐに展望がきくところがあり、扇山方面が朝焼けに紅く色付いてくるのを眺める。白鳥山への登山道はよく整備されていて歩きやすい。このコースが整備される前に白鳥山側からこの尾根にチャレンジしたことがあるが、そのときは笹に阻まれてあえなく断念した。これからはこのコースが白鳥山へのメインコースになるのであろう。。。

2つ目のピークにさしかかる頃、扇山の上に朝陽が昇ってきた。尾根通しに付けられた道は笹も切り分けられて快適に歩くことが出来る。小さなアップダウンを何度か繰り返すと、1時間ほどで鹿除けのネットが見えてくる。ここは御池近くのドリーネの上になる。山芍薬がチラホラと見えてくるがまだ開いているものは無く、蕾がいっぱいに膨らんでまさに開こうとしているところだ。帰りに期待しよう。白鳥山には御池やドリーネ、岩穴など幾つか見所があるが帰りに立ち寄ることにして山頂を目指す。ドリーネから平家住居跡を経てカラ谷分岐、ウゲトノ谷分岐を過ぎ、広い斜面の樹林帯を登って行く。ブナやイチイ?の巨木の間を緩やかに登って行くが、重荷を背負っているのでこれが実に長く感じる。苔むした古い切株が見えてくると、やっと白鳥山の山頂だ。

白鳥山の山頂は潅木と笹に囲まれて展望は無い。山頂からは北西と南東、それに北東へと登山道が降っている。北西の道はウゲトノ谷へ降る道で途中には岩穴と山芍薬の群落がある。尾根を降りきった鞍部でカラ谷から山腹を横切ってきた道が合流している。南東の道は時雨岳や銚子笠へ向かう道で水上越への道もこの途中から分岐している。また、銚子笠方面へ少し行ったところにはカルスト地形があり、展望の良い露岩がある。北東の道は先ほど登ってきた道で、カラ谷登山口へ降るコースである。途中でウゲトノ谷方面の道、御池を経てウエノウチ谷へ向かう道が分岐している。峰越峠方面へもこの道を降る。

水上越への分岐は銚子笠方面へ少し行ったところにあり、足元に標識が立っている。しかし、入口がハッキリしない。帰りに出たところは分岐を銚子笠方面へ少し行ったところだったのでルートが変わっているようだ。とにかく標識のある辺りから見当をつけて入って行くことにする。すぐに潅木と枯れかけた笹が入り乱れる中に目印のテープが見つかる。広い平坦な尾根を進み、1588m地点の手前で左の尾根を降る。笹や倒木が増えるが以前歩いた時よりは笹の勢いも無く枯れかけている。以前は一旦右の谷の方へ降ってから上り返していたが、笹が枯れかけている今は尾根を直接降って行くことが出来る。倒木を避けるのにも笹を漕ぐ必要は無く、枯れた笹をポキポキと折りながら簡単に迂回できる。鹿の害なのかほとんどの笹が枯れかけている。それにしても倒木が多い。大きなブナが根こそぎ倒れている。

白鳥山と水上越の中間辺りは石灰岩の露岩の尾根でドリーネが幾つか見られ、山芍薬の群落も2、3箇所ある。ちょうど見ごろを迎えていて開いたばかりの可憐な花を見ることが出来た。山芍薬は完全に開いてしまうよりも開きかけや開いたばかりの物が良い。特に開く寸前のものは中華饅頭を連想させて空腹時にはヨダレが出そうだ。。。

広い尾根を北西へ曲がって行くと、やがて、2つのドリーネが並ぶところへ降り着く。ここが水上越である。左側のドリーネの北側に「現在地点水上越です」と書いた青い小さなプレートが取り付けてあるが、薄くなって文字が読み取りづらくなっている。また、その下の岩に「水上越1450m yasu」と書いた以前は無かった真新しい白木の杭が立てかけてある。ドリーネの周りにも山芍薬の株があるがまだ蕾の状態で、岩陰には「ひとりしずか」が沢山咲いていた。名前から一輪だけひっそりと咲いているのかと勝手に想像していたが、結構固まって咲いている。

水上越は泉村と水上村の境にある峠で北側はなだらかな広い谷が広がっていて、谷を降ると林道川口線に出る。一方、南側は急峻な谷が球磨川源流帯へと落ちている。林道川口線が水害で通行できなくなっている今は球磨川源流からここを訪れる人が多いようだ。峠の北側には稜線に沿って西の方へ浅い谷が続いているが、この谷にはカルスト地形が見られ、谷の水は陥没した穴へ吸い込まれ反対側の球磨川源流へと流れていっているようだ。また、西側には露岩があって南側の展望が得られ、市房山や眼下の球磨川源流帯の谷が望める。時刻は11時25分、ここで昼食にする。今日は水上越か石楠越でテント泊の予定であったが、まだ、時間が早いので石楠越まで足を延ばすことにする。

水上越から尾根沿いに進むともう1ヵ所「水上越」の標識が立っているところがある。ここからも球磨川源流へ道が降っているが、ここは地図上の水上越ではない。

尾根が北西へ曲がる辺りの突端には大きな岩がある。この岩の谷側は絶壁になっていて上へ登ることも出来るが今日はやめておく。ここから七辺巡りまでは広く緩やかな尾根を登って行く。ヒーコラ、ヒーコラ登っていると途中で男性の登山者が一人降ってきた。球磨川源流から登っての帰りだそうで、今日唯一出会った登山者だ。

七辺巡りの山頂は円形の鈍頂でチョッと気を抜くと方向感覚を失いそうになる。山頂からは北東へ山犬切峠、上福根山方面への道が降っている。南東へは水上越への道、南西へは南山犬切(地図上は山犬切)への道が降っているが、この2つは入口が南に偏っているので間違いやすい。方向をよく確認して進む必要がある。

南山犬切へは広い尾根を降って行くが、降った尾根が主稜線から少しそれていたようで途中で涸れ沢を渡って主稜線上へ上がる。緩やかな尾根を登って行くとやがて南山犬切の山頂に着く。

南山犬切の山頂には三角点の傍に山頂標識の杭と赤白のポールが立っている。山頂を囲んでいた笹は枯れて灰色の茎だけが立ち並んでいる。その笹の間を石楠越へ向かう道が南西へ降っている。ここから鷹の巣山までは歩いたことが無い領域で、幾つかのピークを越えて行くが、枝尾根に入り込まないように気を引き締めて歩かなければならない。特にピークで進行方向が変わるところは要注意であるが、笹が枯れていてほとんど無いのが幸いである。

しかし、想像していたよりも歩きやすい。林道が石楠越をトンネルで越えてから、トンネルの近くから登ってくる人が増えたのか、明瞭な踏み跡が見られるところもある。途中から「熊本県」と表記されたコンクリートの杭と千八百台の数字が刻まれた杭に沿って歩いて行く。最後に補点のあるピークから南西へ降ったところが石楠越だ。西南の役で薩摩軍が敗走した時に越えた由緒正しい(?)峠であるが、展望も無く、チョッと荒れた感じのする鞍部である。天場に適したスペースも無いのでもうひとつ先の鞍部まで行って見ることにしたが、これが大正解で、北西側が開けた明るい鞍部に到着した。

時計は17時を回ろうとしていた。急いでテントを張って夕食を食べていると鷹の巣山の右側、夕焼けに染まる雲の下、に雲仙普賢岳がうっすらと浮んでいた。

(写真:(表)朝焼けの扇山 (裏)石楠越近くで幕営)


2日目(5月7日:石楠越から久連子へ)
石楠越の次の鞍部 → 鷹の巣山 → 蕨野山 → 積岩山 → 岩茸越 → 久連子

 昨夜は満点の星空だった。今日も天気は良さそうだ。テントをたたみ、四苦八苦して何とかパッキングを済ませて7時に出発する。明確な登山道がないこの山域では完全に明るくなって周りの様子が分かるようになってから出発すべきだ。(本当はパッキングに手間取っただけだが。。。)

今日は鷹の巣山、蕨野山、積岩山と縦走して久連子へ降る予定である。この区間はは逆コースを鷹の巣山まで歩いたことがあるが、鷹の巣山から石楠越方面へは笹が濃くて断念した記憶がある。今回の縦走で一番懸念していた区間であるが、笹は枯れて勢いがなくなっており、どちらかというと倒木やアセビの方が行く手を遮る。所々に目印の紅いリボンが結んであり、その幾つかには「RKAC」と書いてある。おそらく久留米の山岳会だろう。感謝である。

南側には最近作られた広域林道菊池人吉線が稜線近くを横切っているのが見える。この林道は石楠越の下辺りをトンネルで抜けて久連子へ降っている。最近やっと通れるようになったようで、この林道から石楠越経由で南山犬切へ登った記録もネットで見かけるようになった。しかし、鷹の巣山方面はあまり登られていないようでしっかりした踏み跡が無い。この区間はアセビが多く、鈴生りに花をつけている。足元には幼木も沢山生えているので、そのうち笹は枯れてもアセビが邪魔になって歩きにくくなるかもしれない。笹と倒木に悩まされ、所々でミツバツツジを眼にしながら、最後は左から回り込むようにして鷹の巣山山頂に出る。

鷹の巣山は地図上では蕨野山と表示されているが、地元の呼び方ではここは鷹の巣山で、積岩山との間にある1438mのピークを蕨野山と呼んでいるそうだ。山頂には「蕨野山」と「鷹の巣山」の両方の山頂標識があるが、「蕨野山」の方が立派で、「鷹の巣山」の方は割れてしまって三角点の傍に横たえてある。山頂は狭くてあまり展望は利かないが、上が開けているので明るい。山頂からは三方へ尾根が降っていて、それぞれにルートがついている。西へ蕨野山、積岩山と縦走する道が、北東へは林道菊池人吉線に何箇所かある鷹の巣山登山口へ降る道がついている。南東は今日登ってきた石楠越への道がついているがこれは入口も分かりづらく踏み跡もハッキリしない。

山頂で休憩してから西の尾根を辿る。以前歩いたときは尾根の北側斜面を歩いた記憶があるが、今は何とか稜線上を歩けるようになっている。しかし、倒木が多いが。。。

広い平坦な尾根に出ると鞍部へ降るが、降る方向が分かりづらくてつい左よりに降ってしまった。軌道修正して斜面を北へトラバースして無事鞍部へ辿り着く。鞍部から尾根を直登して倒木を乗り越えて行くと蕨野山山頂である。ここには微かに蕨野山と読み取れる古い杭が一本立っているだけで知らなければ見過ごしそうなところだ。確かこの杭には「九州100山峰著者渡部智倶人一行?名」と書かれてあったと思う。

それにしても今日は暑い。蕨野山山頂一帯は陽を遮るような林が無いので日差しが堪える。水も底を尽きかけてきた。日陰を求めて積岩山方面へ急ぐ。蕨野山から積岩山への稜線の南側には作業道が通っている。以前歩いたときはこの作業道を通って来たが、今日は稜線歩きにこだわることにする。と言うのもこの作業道には悪い記憶があるのだ。雨の中を積岩山山頂から作業道を歩いてきたが、次第に稜線からそれて降って行くのであわてて尾根に取付き蕨野山山頂へ登る途中で滑って手のひらを笹の切株で突いて怪我をしたのだ。そのときは応急処置をしてそのまま鷹の巣山まで縦走して、帰ってから病院へ行ったが数針縫う羽目になってしまった。竹が水平に切られていたので良かったが、もし、尖っていて手のひらを貫通していたろと思うとゾッとする。その時の傷は今も左の手のひらに残っている。

蕨野山から積岩山へ向かう尾根は倒木だらけで日陰が無い。倒木の間には名前どおりワラビがニョキニョキと生えている。積岩山に近付くと少しづつ木が増えてきたので木陰を見つけて落ち葉の上に横になっていると、思わず深い眠りに誘い込まれそうになる。積岩山の手前の露岩の間に山芍薬が数株あったが、まだ、固い蕾であった。積岩山山頂は作業道の突き当たりにあり、三角点の横に金属製の山頂標識が立っている。三角点の後は笹で囲まれていたが、やはり枯れてしまっている。

積岩山から久連子へ向かう道は山頂標識の後から始まっている。ここも山頂部が広いので方向感覚を失いそうになるが、地図を確認しながら北西の尾根を進む。10分程で久連子神社分岐に着く。この分岐は木の幹に小さな標識が取り付けてあるだけなので注意が必要だ。よく見ると北の林の中へ赤いテープが降っている。今日はここから久連子へ降るが、地図上でこの先にある岩茸(いわなば)越へ行ってみようと思う。ザックを置いて行こうか迷ったが、なるべくザックと共に行動することにしているので背負って行くことにする。

しばらく行くと険しそうな岩稜に突き当たる。岩茸越はこの岩稜の向うにあるはずだ。左側は絶壁になっているようなので、さすがにここはザックを置いて行くことにする。岩稜の上からは南側の展望が良い。岩稜を降ると一面バイケイソウに覆われた鞍部に着く。どうやら、ここが岩茸越のようだが、ここを越える道の痕跡は見られない。左前方には山腹に岩峰を持つ丸みを帯びた山が見えている。先へ行って見たい誘惑をグッとこらえて引き返し、デポしていたザックを拾って久連子神社へと降る。

久連子へ降る道は岩の多い急なやせ尾根から杉林へと入って行くが、途中で以前歩いたときと様子が違うことに気付く。どうやら左へ降らなければいけなかったところを見逃して尾根を直進したようだ。地図を見ながら左へトラバースしてすぐに本来の尾根へ辿り着く。杉林の中の道には切株に石を載せて目印にしてある。尾根が一旦平坦になったところで、直進する道と左の沢へ降る道に分かれる。前回はここまで沢沿いに登ってきたが途中に滝があったり、ガレ場の連続であまりいい印象は残っていない。しかし、尾根を直進する道は歩いたことが無いのでどんな状況か分からないし。。。
考えあぐねた結果、飲み水も底を尽いていたので沢沿いに降ることにした。

杉林からガラガラの沢底へ降り、源流部で水を補給する。今日は、まだまともに昼飯を食べていなかったのでここでラーメンを作って食べることにする。下へ降っても水を得られるかどうか分からないので、2Lのポリタン2つを満たし、スポーツドリンクも作って、再び沢を降り始める。滝の右岸を降るときはさすがに緊張したが何とか無事に降りきり、右へ左へ渡り返しながら降って行く。最後に堰堤を2つ越えてジャリで埋め尽くされた登山口へ降り着く。

積岩山の登山口は林道日添線の終点にあり、ここから林道を久連子神社まで降って行く。途中でテントを張るのによさそうな場所があったが、明日のことを考えて少しでも岩宇土山登山口の近くまで行こうと思い、林道を降って行く。林道脇でおじさんがひとり、たい肥用の落ち葉を集めていた。途中で民家が何軒か現れるが既に人が住んでいないような家もあるし、人の姿は見当たらない。しかし、どの家の庭も花で溢れている。林道を降りきったところの高台に久連子神社がある。一般車道に出て岩宇土山登山口方面へ行くとすぐ左には久連子古代の里があるが、既に閉門するところであった。結局、久連子に降りてから見かけた人は2人だけであった。夕暮れが迫る中、岩宇土山登山口へ向かって歩いて行くが、なんだか、少し寂しくなってきた。今日は久連子川の護岸の上の空き地でテントを張ることにした。人里でテントを張ったことが無いので怪しまれないか心配であるが、それほど人の姿も見かけないから大丈夫だろう。

護岸の下のほうに河原があり、近くで2つの谷が合流している。明日のことを考えて川の水を使用しようかとも思ったが、上流には久連子荘や工事事務所のような建物もあったような気がするのでやめておく。テントを張って夕飯を食べていると沢音に混じってカジカの鳴き声が聞こえてきた。

(写真:(表)鷹の巣山 (裏)倒木だらけの蕨野山稜線)


3日目(5月8日:久連子から山犬切り峠へ)
久連子 → 岩宇土山 → 林道 → 上福根山 → (北)山犬切 → 山犬切峠

 今日も天気は良さそうだ。標高が低いせいか昨夜は暖かかくて良く眠れた。今日は岩宇土山を経由して上福根山まで登り、山犬切峠、七辺巡りと辿って水上越でテント泊の予定だ。標高差は約1000m。今回の縦走で最も厳しい登りだ。登りのペース次第では計画を変更して途中でテントを張ることも考えなければならない。

今日もパッキングに時間がかかり、出発は6時40分になってしまった。少し前に車が一台登って行ったが、おそらく登山者の車であろう。橋を渡るとすぐに久連子荘がある。その先に岩宇土山の登山口があり、近くに北九州No.の車が一台停まっていた。さっき登って行った車のようだ。岩宇土山に登ったとすればおそらくオコバ谷へ周るだろうから出会うことはないだろう。

岩宇土山の登山道はいきなり急斜面から始まる。最初は斜面を左へ登り、尾根上に出たら右へ方向を変えて尾根通しに登って行く。岩の多い尾根道を1時間ほどで岩稜にぶち当たる。これを右から巻いて上へ出たところで休憩する。地図を見ながら1時間で歩いた距離を見ると先が思いやられる。頭の中では山犬切峠でテントを張ることを考え始めていた。

少し平坦になったかと思うとすぐに岩稜の急登が待っている。かなりバテてきた。そういえば今日は途中で食べようと思って朝飯をあまり食べていない。とりあえずパンを食べながら少し永めの休憩をとって気合を入れなおす。モアイ像のような小さな石仏が一体安置されている辺りからチラホラと山芍薬が現れてきた。前方には岩の壁が立ちはだかっていて、右へトラバース気味に進むが、地面は崩れやすくて歩きにくい。明るい斜面に出ると南側の展望が開け、昨日歩いた鷹の巣山から積岩山への山並みが一望できる。斜面にはトリカブトの若葉や、山芍薬が生えている。途中で左へ折り返すと突き当りの岩にはぽっかりと穴が開いている。どうやら鍾乳洞らしい。ザックをおろすのも面倒なので中を覗くのはパスして、鍾乳洞の前を右へ登って尾根に出る。

鍾乳洞の上の方へ岩稜が延びているが、これもパスして先を急ぐ。チラホラと咲いている山芍薬を愛でながら先へ進むと、今度は白いガレキの斜面が現れる。まったく、次々といろんな地形が現れてあきさせない山だ。こんな所で転んだらたまらないので浮石を踏まないように慎重に登って行く。

ガレ場を登りきるとススキと笹が入り乱れた間を通る。道の横にロープが張ってあるのでなんだろうと思っているとロープにネットが付いている。鹿よけのネットのようだ。登山道はネットと笹に挟まれた狭い隙間を進んでいて、これが実に歩きづらい。ネットにザックや三脚が引っかかってしまい、イライラする。登山者が引っ掛けて落としたのかネットの中にはいろんなものが落ちている。小さなコアラのぬいぐるみも落ちていた。鹿は防げてもコアラは防げなかったようだ。

山頂手前でやっとネットからそれて笹と荒れた杉林の間を通るが、すぐに平坦なやせ尾根となり尾根の途中に山頂標識が立っている。地図上の山頂とは少し離れているようだ。おそらく本来の山頂はヤブの中にあるのでここを仮の山頂としたのであろう。狭くて休憩する気にもなれないので先の鞍部まで降る。

山頂から降った鞍部はオコバ谷へ降る分岐になっているようだ。分岐の少し先で休憩していると岩宇土山山頂の方から声が聞こえてきて、やがて、夫婦らしい2人連れが降ってきた。上福根山まで行くそうで、昨日は京丈山へ登ってきたと元気に話してくれた。久連子のことを「クレンコ」と言っては「クレコ」と修正していたので地元の人ではないようだ。

オコバ谷分岐から20分程登ったところにも分岐があり、尾根の東へ「キヤノキ谷70分」の表示がある。さらに15分程で前方に見覚えのある崖が見えてきた。崖の下には山犬切峠から延びてきた林道が通っている。時間もちょうど良いので林道の下の木陰で昼飯にすることにした。山屋で買ったフリーズドライフーズのきな粉餅を試してみる。味はなかなか良いがベタベタして後始末が大変だ。

上福根山への登り口は林道の崖の所で小さな標識がある。崖を上がると笹が多くなり、たまに倒木も横たわる。所々、シャクナゲの花が咲いている。上福根山はシャクナゲで有名な山だが、今年は花が少ないようだ。それにしても、先に登った2人がそろそろ降りてきていいはずだが、なかなか降りてこない。そのうち、上の方から声が聞こえてきた。やっと降ってきたようだ。頂上で40分ほど休憩したそうだが、林道から山頂までが長く感じたらしく女性の方が少しバテていた。岩と笹、それにシャクナゲの木が絡み合う道をひたすら登って行くとやがて上福根山山頂の露岩が見えてきた。

上福根山(1645.3m)は五家荘の樅木と久連子の間にあり、山頂からは北へ横平への道、南へ久連子への道、東へ林道川口線の山犬切峠への道が降っている。また、西へ稜線を辿れば茶臼山へ行くことが出来る。山頂には露岩があり、林とシャクナゲに囲まれて展望は無い。

今日は上福根山山頂から東へ延びる尾根を辿って山犬切峠へ向かう。途中には下福根山、中福根山、前福根山と名付けられた小ピーク?があり、最後に山犬切峠へ降る手前で左へ山犬切への道が分岐している。気がかりは登山道の状態である。林道川口線が災害で通行止めになってからこのコースを登る人はかなり減っているはずである。それに倒木も多そうだ。時刻は14時半になろうとしている。やはり水上越まで行くのは無理なようだ。計画を変更して、今日は山犬切峠でテントを張ることに決めて上福根山山頂を後にする。

道は心配したほどではなくいい調子で進んだが、下福根山について驚いた。何の木であろうか細い枯れ木が何本も倒れて折り重なって荒れ果てている。倒木の隙間から下福根山の山頂標識がかろうじて覗いている。

次の中福根山は特に荒れてはおらず、山頂標識もちゃんと立っている。この尾根には、まだ元気な笹がまだ残っている。そして、笹が元気なところには勢いのあるぶなの巨木が多い。

前福根山の手前の1610mピークは北側を巻いて尾根に上がる。中福根山もそうであるが、前福根山は何でここが?というようなところに山頂標識が立っている。手前の1610mピークの方が地図上でも顕著であるがそこには何の標識も無いようだ。

倒木を避け、所々綺麗に咲いているミツバツツジを眺めながら、それでも必死に歩いて、やっと山犬切への分岐に辿り着いた。分岐には標識があり、上福根山と北山犬切の表示がある。地図上の山犬切はもっと南の七辺巡りの近くにあり、こちらを山犬切、地図上の山犬切を南山犬切と呼び分けていたのだが、表示では北山犬切になっている。

時刻は16:28分。水汲みにも行かなければならないので立ち寄るかどうか迷ったが、やはり外せない山頂なので、ザックをデポして(北)山犬切まで往復することにする。(北)山犬切までは平坦な笹の中の道を行く。以前は背丈ほどの笹を漕いだ覚えがあるが、やはり枯れて見通しがよくなっている。3,4分で前方に岩尾根が見えてくる。(北)山犬切の山頂は岩尾根の奥にあり、「山犬切」と書いた山頂標識がある。山頂からは七辺巡りや南山犬切が見えている。

分岐へ引き返して南へ降って行く。笹が少なくなり一面トリカブトの若葉で埋め尽くされた斜面に入るとその先が山犬切峠だ。トリカブトの間には点々と山芍薬の花も見える。林道の反対側に赤いハンモックのようなものが下がっているので、誰か置いていったのかと思って近付いてみると「火の用心」の赤い垂れ幕が横になり、それに落ち葉が積もっているだけであった。

山犬切峠は過去に車で来たことがある。この辺りを見る限りでは何も変わっていないようだ。テン場を探すが、ジャリがあったり、草の塊でボコボコしていたりでなかなかいい場所は無い。結局、峠の道路脇に張ることにした。

暗くなる前に水を調達しておく必要がある。林道を樅木側へ20分程行った所に壊れた作業小屋が建っていて、そこの谷に水が流れている沢がある。林道は所々土砂が崩れていたり、水でえぐれていたりしているがそれほど大きな崩落は無い。林道脇にも山芍薬が咲いていて、林の中に群落があるところもある。この林道が通れれば車で山芍薬鑑賞が出来るところだ。小屋跡辺りは多少土砂が流れているものの大して崩れていない。沢も昔のままで水が流れている。以前、水上越から白鳥山や上福根山を歩いた時にここで2泊したことがある。水が豊富で野営するにはいいところだが、壊れたプレハブ小屋が3棟並んでいて夜はチョッと怖い。。。

2Lのポリタン2個と4Lのプラティパスにたっぷりと水を汲んで峠へ引き返す。来るときは降りでポリタンも空だったから良かったが、帰りは8Lの水をぶら下げて緩やかとはいえ登って行かなければならず、かなりくたばってしまった。

陽も暮れかけたころ夕食を終えて明日の準備もそこそこにシュラフに入る。

(写真:(表)岩宇土山のガレ場 (裏)上福根山のシャクナゲ)


4日目(5月9日:山犬切峠から峰越峠へ)
山犬切峠 → 七辺巡り → 水上越 → 白鳥山 → 峰越峠

 今日は家を出る前の週間天気予報では曇りの予報になっていた。空は薄く雲がかかっているが、雨が降りそうな気配は無い。今日一日もってくれるよう祈りながら山犬切峠を後にして七辺巡りへと斜面を登って行く。山犬切峠から七辺巡りへは1553mのピークを越えて行く。このピークは石灰岩で出来ていて頂上部にはドリーネが見られ、南側の斜面には石灰岩が露出している。そして、この石灰岩の斜面に山芍薬の群落がある。この日は開いているものは少なく、白く膨らんでいるものや蕾のものが多いが、散ってしまって雌しべと雄しべだけが残っているものもある。

一旦鞍部へ降り、七辺巡りの山頂へ広い樹林帯を登って行く。以前のように明瞭な道がなく、踏み跡が薄いのでガスの中を降るときは要注意である。山頂近くにあった大きなサルノコシカケが付いた枯れ木は粉々に崩れてしまっていた。

七辺巡りの山頂で初日に歩いたルートに合流する。水上越へは山頂から左(南東)へ降り、少し東よりに降って行く。この尾根は下の方で2方向へ分かれているので注意が必要だ。この日も白いビニール紐につられて調子よく降っていたら知らぬ間に左の尾根へ入り込んでいて軌道修正した。右側の尾根は突端に大きな岩があり、球磨川源流帯へと切れ落ちていて、そこで左へ曲がって水上越へと続いている。また、この2つの尾根の間は浅い谷になっていて、この谷が実にいい雰囲気である。今日はこの谷を降って水上越まで行こうと思う。

適当なところから谷へ降り、バイケイソウに覆われた広い谷底を歩く。右側には所々カルスト地形が見られ、石灰岩の壁の下が窪んで水が流れた跡がある。この谷の水はこのような窪みから尾根の下を通って球磨川源流帯へと流れ落ちているようだ。左側は広い樹林の斜面になっていて、時折、鹿の気配がする。谷底が少し細くなり、再び開けたところは池になっている。今日は涸れて水はなかったが、池の底は靴跡がハッキリとつく程度に湿っている。

池から上がって少し行くと足元に道標が設置されている平坦な場所に着く。ここは北側の林道からアンドウゴヤ谷を通って水上越へ登るルートの分岐点で、以前は南へ向いて立ったとき左右両方へ「水上越」の表示があったが、今は左側のものだけが残っている。これは、南の稜線上に地図上の「水上越」の他にもう1ヵ所球磨川源流から登ってくるところがあり、そこにも「水上越」の標識が立っているのでその両方を指していたのだが、今は本来の「水上越」の方だけを示している。おそらく、これが正解だろう。出来れば稜線上の標識も変更したいところだ。

それにしても雰囲気のいい所で、出来ればここでテントを張って2,3日辺りを歩きまわりたいところだ。当初の計画では昨日はここでテントを張る予定だったのだが。。。

ここから南の尾根へ、石灰岩が露出し所々にドリーネがある斜面を登ったところが水上越である。水上越の尾根上には2つのドリーネが並んでいて、辺りにはヒトリシズカや山芍薬が咲いている。特に球磨川源流へ降る斜面には山芍薬の群落があるようだ。開花状況としては咲き初めといったところだろうか。

水上越から東の尾根へ上って広い尾根を南南西へ向かい、突端で東へ方向を変えて白鳥山へと向かう。地図を見ても分かるように尾根の北側はなだらかで南側は切れ落ちている。北側の林の中では鹿の鳴き声が聞こえている。石灰岩の露岩があるところには山芍薬やトリカブトが群落を作っていて、平坦地ではバイケイソウが踏み跡を隠している。倒木を避け、昔の道を探しながら歩いて行くがよく分からない。以前迷い込んだ明瞭な道でさえ笹が枯れてしまった今は分からなくなっている。それでも、とにかく尾根を外さないように歩けば大丈夫だ。

白鳥山が近付いてくると笹が完全に枯れ切っていないところがあり、チョッとわずらわしい。水上越と白鳥山の中間を過ぎた辺りで、突然、後ろの方で笹の中を何かが猛烈な勢いで駆けて来る音がした。鹿かと思ったが、鹿は人の気配がしたらすぐに逃げてしまうのでおかしいと思い、後を振り向いて身構えたら足音がピタっと止み、茶色の中型犬と向き合ってしまった。最初、一頭だけかと思ったら左側にもう一頭同じようなのがいる。計画段階で懸念していた山犬との遭遇だ。以前、上福根山へ登った時、山頂から林道へ降って林道を山犬切峠へ歩いて戻るときに大きな山犬に遭遇したことがある。そのときは、こちらを見てバフッっと威嚇して通り過ぎていったが、今日はどうだか。;何かの本に「山犬に遭遇したら背を向けずに1匹は殺すつもりで立ち向かえ」と書いてあった。カメラの三脚を構えて一戦交える覚悟で立っていると、別に襲いかかる気も無いようで、くるりと後ろを向いて何処かへ消えていった。右の林の中で音がしていたので、おそらく迂回して私を追い越して行ったのであろう。まったく、冷や汗ものである。何処から出てくるか分からないので身構えながら歩いたが、結局それ以降出会うことは無かった。

白鳥山の手前の尾根へ向かって倒木で荒れた斜面を登って行く。さっき、山犬に出会う前にこの尾根の西側をカメラの望遠で写してみたら何やら岩の多い斜面に緑の葉っぱらしいものと白い花のようなものが写っていたので、ここにも山芍薬の群落があるのかもしれない。いつか行ってみたいものだ。

水上越方面から白鳥山への最後の出口は入るときと同様分かりづらい。やや右寄りに進むと白鳥山から銚子笠方面へ向かう道に出るが、一昨日、入って来た所より銚子笠よりのカルスト地形のところに出た。分岐の標識は少し山頂側へ行ったところにあった。

先ほどから雨がパラツイたり、止んだりしているが、せっかくなのでウゲトノ谷側の岩穴と山芍薬の群落を見て、御池を巡ってから下山することにする。山頂を突っ切って反対側へ緩やかに降って行くと登山道の右側に岩穴がある。斜め下へ降っている竪穴で中は崩れた岩で埋っていて奥へは入れない。その昔、この岩穴から刀のつば等が見つかったという話もあり、平家の落人伝説との関係もありそうだ。

岩穴の近辺は山芍薬の群落地であるがまだ蕾のようである。斜面を降りきった所はT字路になっていて、右のカラ谷方面からの道が合流して左のウゲトノ谷へ降っている。分岐を右へしばらく行くと途中で左へ降る道が分岐している。これは御池(ニの池)を経由してウエノウチ谷へ降る道である。これを降って行くと「御池・二の池」と書いた白い標識が立っていてその向こう側に細い木が入り乱れた苔むした平坦地が広がっている。道は二の池の右端を回りこむように進んでいて途中には明らかに人工的に植えたと思われるアスナロの木が何本か植わっている。アスナロの下で遅い昼食を食べながら休憩する。このアスナロの木も平家伝説の一翼を担う木であるが大きさからしてそれほど古い木ではなさそうである。それとも何代も継いで来た木であろうか。。。

天気がよければ白鳥山で一泊して明日下山するつもりだったが、雨が本ぶりになりそうなのであきらめて今日下山することにする。アスナロから少し行った所で右へカラ谷方面への道が分岐している。峰越峠へはこの道へ入る。道の左側にはもうひとつの御池である「一の池」がやはり苔むした林となって広がっている。一の池から少し行くと今度は左下が窪んでいて石灰岩群が立ち並んでいる。この石灰岩群は御池と共に白鳥山のシンボルになっているて、この辺り一帯の斜面も山芍薬の群落地になっている。峰越峠へは石灰岩群の南側を通って北へ登って行く。

雨は本ぶりになる様相を見せ、登山道は次第にガスに包まれ、風も強くなってきた。小さなアップダウンを何度か繰り返して16時過ぎに愛車RAV4の待つ峰越峠へ帰り着いた。峠の路面をガスが吹き流されて行く。土砂降りになる前に難路を抜けておきたいので急いで帰り支度をする。

帰りは佐俣の湯で4日分の垢を落とした後、吉無田水源から南阿蘇グリーンロードを通って帰ったが、ガスで視界は3、4m位しかなく、途中の展望台で車中泊して翌日、阿蘇を越えて帰った。阿蘇山頂のミヤマキリシマはまだ咲き初めであった。

(写真:(表)白鳥山の岩穴 (裏)山芍薬の蕾)


あとがき

 今回の縦走は私にとっては珍しく花(山芍薬)を期待して歩いた山行であった。ターゲットの白鳥山は、まだ、咲き初めであったが縦走路のあちこちで可憐な山芍薬を目にすることが出来た。コースの一部は4年前に歩いたことがあるが、そのときは笹に阻まれて迂回していた箇所も笹が枯れてしまい尾根通しに歩けるようになっていた。歩く方にとっては都合が良いが、やはり笹の勢いが良いところの方がブナを初めとする木々も元気なように思える。それに、倒木が多く、ブナの巨木が根こそぎ倒れている光景もあちこちで見かけた。寿命を全うして次の世代と交代しているのなら良いがどうもそうではないようである。。。

五家荘周辺の山々は里人との共存の歴史が永く、それでも豊かな自然を残しているところで、九重や祖母・傾等とは違った独特の雰囲気を味わえる。特に白鳥山や水上越周辺は、まだまだ新鮮な驚きを与えてくれそうな場所が隠れていそうだ。林道川口線が不通でアクセスが悪くなったが、これからも機会を作って歩いて見たいと思う。

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