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釜蓋窟を探して(2007年10月2日) → 写真集


 町の図書館で「宝満山歴史散歩」(森弘子著)という本を借りてから、宝満山へ登るときは名所旧跡を探しながら歩くようにしている。宝満山は、かつて修験道が栄えた山で、「五井七窟」と呼ばれる水場と窟があったそうだ。今までの山行でそれらの幾つかは訪れたが、まだ何処にあるのか分からないものもあった。七窟のうち、大南窟と釜蓋窟がそれで、大南窟は今年の6月に本の記述を元に探し当てた。残るは釜蓋窟だが、この窟は「うさぎ道」の途中にあるようなので、うさぎ道を歩くたびに踏み跡や岩場を探してみたが、それらしき窟を見つけることが出来ずにいた。
 


登山コース

 昭和の森 − (頭巾山コース) − 頭巾山 − 三郡山 − 仏頂山 − 宝満山 − 釜蓋窟 − (うさぎ道) − 河原谷 − 昭和の森

MAP

釜蓋窟


 「宝満山歴史散歩」の記述によれば、釜蓋窟は「宝満山上宮から仏頂山へ向かい、仏頂山山頂の少し手前を左の方へ150メートルほど降りた所から、左へ50メートルほど入ったところ」にあるらしい。仏頂山山頂の少し手前から左の方といえば「うさぎ道」しか思い浮かばない。うさぎ道周辺は過去に何度か探してみたが、釜蓋窟らしい岩場は見つけることは出来なかった。「150メートルほど降りた・・・」というのが距離なのか、標高なのかハッキリしないので、探す範囲を絞りきれていなかった。今日は、この記述を距離だと決めつけて、もう一度「うさぎ道」の周辺を探してみることにした。

 この日は「昭和の森」から頭巾山コースで三郡山へ登り、宝満山まで縦走して「うさぎ道」から河原谷へと降りた。それにしても、宝満山は平日だというのに登山者が多い。早々に引き返して仏頂山山頂の手前で左の「うさぎ道」へ入る。すぐに右へ仏頂山の山頂を巻いて縦走路へ出る道が分岐する。この道を見送って先へ進むと登山道脇に大きな杉の木が何本か現れる。根元から曲がって上へ延びている杉の木には以前から気付いていたが、特に気に留めてはいなかった。脊梁山地の白鳥山や椎葉越に見られるように、自然林の中にある杉の巨木は何かの目印に植えられた可能性がある。この辺りは登山道の左側が谷になっていて、その谷へ向かって小尾根が数本降っている。

 踏み跡らしきものがないか注意しながら先へ進むと、左側の林の木に番号を振った小さなタグが付けてあるのが見えた。「宝満山歴史散歩」に「釜蓋窟へ降る道筋はブナの原生林であるが、最近この森がピンチ状態になっている。しかし、このブナ林を保護しようと調査を進めている学生さんがいる」というような記述があった。このタグはその調査の為のものだろうか。釜蓋窟はこれらの小尾根のどれかにあるに違いない。ここからは勘を働かせながら、林の中に踏み跡、または、人が歩ける空間があるか、見極めながら降れそうな尾根を探す。

 「うさぎ道」は縦走路の分岐から300m程行った所で尾根の東側斜面を巻くように降るが、その手前10m程の所で左の小尾根に微かな空間を見つけた。落ち葉が積もっているので踏み跡はハッキリしないが、林の中を道が降っているように見える。ためしに降ってみると、2分ほど降ったところで苔むした丸みを帯びた岩が数個見えてきた。岩の横をすり抜けて先へ進むと大きな岩の塊が立ちはだかっている。よく見ると、岩には何やら文字が彫ってあり、さらに、右奥の岩には梵字を彫ってあったらしい丸い跡が縦に並んでいる。数えてみると梵字の跡は七つで、「宝満山歴史散歩」の記述と一致する。左側から岩の周りを巡ると本に掲載されていた写真の蓋をかぶったような岩も確認できた。また、左下へ周ったところには岩の隙間に祭壇のような石組みがあり、崩れた石仏が祀ってある。木の間越しに宝満山山頂の上宮もみえていて、これも本の記述と一致する。間違いなくここが釜蓋窟だ。

 この日はカメラを持ってきていなかったので、後日、もう一度訪れて写真を撮った。そのときは、鳥追峠から「かもしか道」を通り、大南窟、キャンプ場、釜蓋窟、宝満山、福城窟と巡って行者道を降った。

(写真:釜蓋窟の岩塊)


あとがき

 「宝満山歴史散歩」を町の図書館で何度も借りているので自分で買おうと思って書店を何軒か周ってみたが、何処も在庫が無かった。先日、出版元の葦書房に直接注文してやっと手に入れることができた。これからは、この本を持ってちょっと寄り道しながら宝満山を楽しもうと思う。

※宝満山の五井七窟の七窟とは、大南窟、福城窟、法城窟、剣の窟、普地(池)の窟、釜蓋窟、宝塔窟である。このうち、福城窟は虚空蔵窟とも呼ばれ、宝塔窟は羅漢巡りの途中にある伝教大師窟がそれであると言われている。


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